イランのカラスは黒くない。
イランが好きである。
最近は台湾好きのイメージが付いて離れない私だが、ペルシアも大大大好きなのである。
「イスファハーンは世界の半分」と、かつての繁栄を指して人々は言う。
モスクを見るときは、人間と宗教との関係を考えさせられる。
天国は美しい。この世で善い行いをしていれば、やがて天国に行くことができる。すべては神によって定められる。
この道徳的狙いをもつ思想は、世の秩序を守る人間を作り出し、社会的集団をまとめることに非常に有意義である。そのために指導者は、神の偉大さを讃え、その信仰の意思を示すために、教会や寺院を作った。作った、というが、実際には指導者ではなく設計士や技師らに作らせたのだ。
その設計士や技師らは、本当に純粋な信仰心から建造に取り組んだのだろうか。彼らはその技術を誇示するため、宗教を利用したこともあったのではなかろうか。あるいは彼らのそんな思惑を指導者は見通したうえで利用し、あるいは宗教的儀礼の一部とみなしていたのか。
いずれにせよこれらの美しいモスクは、神ではなく人間が作ったものだ。
普通の旅行記にする予定が、もう少し宗教的側面からイランを見てみたくなったので、今回はこの辺で記事を終わりにする。
タイトル:イランのカラスは黒くない。
灰色の羽がフサフサしてます。